早くも来週・・・!
来週kashiraは、
何時の間にか真冬となってしまいました。
今年の12月は例年になく寒くて南国高知でも32年振りの大雪が降っ
たりしています。
2003の年が明けて直ぐ、電話販売会社のチーム代表者から「着うた」
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
第49回(2002年)
翌年よさこい祭りも50回を向かえるにあたって、参加チーム数の増加を
見越していた私は、各チームの練習場所を確保する為に高知県港湾課によさ
こい用ドームアーケード設置案を提案しました。
この案件は、フェリーの廃業に伴って
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
第48回(2001年)
この年もスーパーよさこいで始まりました。「駄目もとで
商店街振興組合原宿表参道欅会事務局に行ってみてくれないか!」
と言う依頼にSが動いてくれました。行ってみて驚いた事に事務局
に企画書を持ち込んだら事務局の担当者の口からは「2年前に一度
高知の方に相談した事があって、欅会青年部のA氏が高知のよさこ
い祭りを見学に来た事もあり、
| 固定リンク | コメント (8) | トラックバック (0)
つづき・・・・
音に余裕があると、やはり踊り子の表情もいいし列も綺麗に通るから不思議!
高知のよさこいは毎年踊り子も入れ替わるし初めてよさこいを踊る人もいる
4列で前に前に進みながら踊っていくので身長の差等で当然歩幅が違う。
他県のチームではよくMCの口上で
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
つづき・・・・
真っ直ぐ音が飛ぶ事ばかりに気を取られて、
横に音が出ない弱点をカバ-する為に翌年から地方車の
真横に左右のモニターを積載する実験をする事にした。
何分、年に一回しか試せない。その積み上げが大切である。
1年の積み上げが目に見えないよさこいの進化がよさこいの
楽しさかもしれない。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
続き・・・・
地方車は・・・・「ふう!」良かった最後の中ノ橋通りまで
何とか到着最後のフラフまで音は切れずに済んだのだ。
9日のその日パレードから前夜祭まで時間が空くので
チームは一旦解散! 夜の前夜祭で再び集合となった。
思わずオペレーターと握手して地方車を港に回送した。
実はまだ照明の取り付けが出来てなかったのだ(笑)
港に行ってもう一度音だしをしたが、別に異常はなかった。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
つづき・・・・
いよいよ8月9日記念パレード当日を迎えた。
帯屋町筋を祭り本番とは逆行する形の進行方向にスタンバイした
本丁筋の踊り子達。台風一過気温はうなぎ登りで暑い!
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
続き・・・・・
台数を纏める為に何チームかに声をかけてみるがどうも
乗ってこないそれでも知識のある企業チームや信頼関係の
あるチームは興味を示した。
話に乗ってこないチームは聞き取りをしてみて分かったが
どうもPA機材に関して予算だけ決めて音質や音のクオリティーに
関して興味を持ってないことが分かった。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
地方車の音は上町をやっているときに偶然ヒントが出てきた。
無国籍時代からの流れで同じ音響屋さんにお願いしていたが
某企業チームからの依頼もあって同じシステムに予算の違いで
企業チームはスピーカーの数が当然多い、しかしこの年なんと
地方車の高さを業者が制作ミスしてしまいスピーカーが予定
通り載らなくて余ったスピーカーを上町の地方車に無理やり
積載したのだった。
祭り本番を迎えて追手筋を進んでいく上町の地方車の音は次のチーム
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)
第47回(2000年)
iモードで「どこいこサービス」が動き出したのだから、
併せて携帯電話を使って“バーチャルの競演場”をつくりチームの
人気投票をしようということで、その年のチーム代表者説明会で
発表して実行しました。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
第46回(1999年)
凄い勢いで全国各地域に広がり始めたヨサコイ。
高知のよさこいも比べるものが出来た事で何か歯車が違い始めて
きている事を感じるのですが、それが一体何なのか分らない。
幸い上町にはまだ一回目のよさこい祭りから参加した事のある先輩達が
健在なので原点を知る意味で訪ね歩いて色々聞き取りをしてみるが、
聞き方が悪いのかどうも消化不良のままヒントが得られない。
この時、気付いたのですが先輩達は純粋に、今ヨサコイが全国に
波及していることを喜んでいたのです。
| 固定リンク | コメント (7) | トラックバック (0)
第44~45回(1997~8年)・・・・つづき
競演場連合会の会長と無国籍の代表をやってる関係上逃げ回っていた上町の
役員、ついに順番上毎年行われる上町のよさこい役員選挙で会長に選ばれた私は、
この年から無国籍チームを10年の区切りとして離れることにし、
古巣上町競演場・上町踊り子隊だけに絞って、これから3年間、会長として
モチベーションの下がっていた上町競演場と上町踊り子隊の見直しに取り掛かって
いくことになります(笑)
2年間帯屋町の土曜夜市で開催していた「よさこい祭り各チーム踊り子募集案内所」を、
掲示板にして無人にしてみては?と、フト思いついた私は、各競演場や演舞場を運営し
ている商店街にも空き店舗利用で打診してみたが、よさこい期間以外によさこいの話を
しても要領を得ないので諦めたのでした。またまたふと思いついて中央公園側にある
新京橋プラザという所に行って、所長に掲示板設置を相談して快諾を得たのです。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
第44回~45回(1997~8年)
作業委員会解散後、この年の秋よさこい祭りの発展方向を模索する為に、
Iを座長とする「よさこい総研」を立ち上げ、よさこい祭りに興味を
持つものや、チーム関係者や県・市のよさこい担当者やマスコミに
まで声をかけて年が明けても週一ペースで集会を始めました。
しかし毎年の事ですが、段々よさこい祭りが近くなると、
全員が今年の祭りでやらなくてはならないことに忙殺されてしまい、
よさこい祭りのビジョンを話すどころか会議を開催できなくなってしまいます。
しかしこの会議の中で生まれた、各ジャンルのよさこいメイキング業者。
つまり楽曲制作者、ヘアーメイク、振り付け師、衣装制作業者、
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
よさこい祭り42回辺りから1つ大きな悩みが頭に残り始めていた。
それは地方車に積載しているPA(スピーカー)から出る音の事だった。
音楽や音についての知識が普通の人より異常に無かった私は、
全く自分の感性で自分のチーム無国籍の音を聞いておいて祭り本番中に
チームを離れて他のチームの地方車の音を聞きにいった。
なんとなくこの音はいいかも?と思ったチームがあれば
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
第43回(1996年)
昨年のチーム代表者会での意見で「踊り子を募集する場所は出来ないだろうか?」という
懸案が出たので帯屋町筋が毎年7月に開催している土曜夜市に場所借りて
「よさこい祭り各チーム踊り子募集案内所」を開設しました。
よさこい祭りに参加するチームの踊り子募集担当者が毎週夜市を訪れる人々に、
チームへの踊り子勧誘やチーム内容を説明出来るようにしましたが、
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
第42回(1995)
チームと競演場の交流を図る為に競演場連合会の次に私は無国籍
チームの代表としてのチーム代表者を集めて「よさこい祭チーム
代表者会」を設立し会議開催しました。
この時、参加してくれたのが35チームの代表者や担当者たちでした。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
第41回(1994)
この年、個人的に懸案であったよさこい祭り参加チームの
中心街重視傾向と地区競演場に対する意識変化を持ってもら
う為に「地区競演場連合会奨励賞」新設する事に成功しました。
それと併せて前夜祭での「グランプリ賞」が「祭り本番」での賞
と勘違いされる事が出て来だして気になり始めていました。
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)
おすすめサイト | よさこい | ニュース | ファッション・アクセサリ | フラフ | 地方作りの楽しさ | 岡崎の足跡 | 旅行・地域 | 日記・コラム・つぶやき
最近のコメント