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よさこいそもそも論3

そもそも論3
よっちょれよ!
「よさこい鳴子踊りの歌の歌詞」
①よっちょれよ よっちょれよ
よっちょれ よっちょれ よっちょれよ
よっちょれ よっちょれ よっちょれよ
②高知の城下へ来てみいや(ソレ)
じんま(爺さん)も ばんば(婆さん)も よう踊る
鳴子両手に よう踊る よう踊る
③土佐の~(ヨイヤサノ サノ サノ)
高知の はりまや橋で(ヨイヤサノ サノ サノ)
坊さん かんざし買うをみた(ソレ)
よさこい よさこい(ホイ ホイ)
※ここまでの1クールで約44秒(都○はるみ歌で)
最初の①の部分にある「よっちょれよ」「よっちょれ」
この二つの言葉は、土佐弁での意味は「横に寄りなさい!」
つまり「どきなさい!」という命令言葉です。
決して、「みなさん寄っておいで」「集まってきて」という
意味ではありません。
そこをどいてどいて、踊り子が来るからどいてくれ!と
最初から流し踊りを想定しての歌詞だったのかは、
はてな?ですけどね(笑)
武政先生に直接お聞きした訳ではないので定かではないですが、
江戸時代、山内家のお抱え飛脚が、
「よっちょれ♪よっちょれ♪よっちょれよ!
用事の無いも(者)な、よっちょれよ」
と言いながら走っていたのを子供達が耳で覚えて
いつの間にか、わらべ歌になっていた物が残っていた
という話をどなたかに聞いたような?(裏ソース無し笑)
②は、これも、聞いた話でソースはないですが、
四国制覇をしていた長宗我部氏が秀吉に破れ、
現、静岡県掛川から土佐の地に移ってきた山内家。
当時は、城下町にいる人の殆どが殿様についてごっそり
移って来るわけですから、その中でも重要なポジションで
あるお寺の住職さんも移ってきたはずです。
そもそも、その事を気に入らない長宗我部の残党の
郷士達の間で、こっそり陰歌として歌われていたのが、
「高知の城下に行てみいや♪坊主は坊主で木魚叩いて
ナンマイダ」というわらべ歌になって残ったということらしいです。
③は、民謡として超有名な「よさこい節」
鹿児島県にも旋律のそっくりな歌があるらしいですね。
よさこい節には替え歌を含めて
歌詞が300以上あるそうですが、今も県立図書館に文献があるはずです。
よさこい節の「よさこい」という言葉は、「夜さ来い」とかと
昔は言っている人もいましたが、どう見ても「夜さり来い」の
「り」が取れて「よさこい」になったんだろうと私は考えます。
つまり、「よさこい鳴子踊りの歌」は、三つの歌を一つにつないで
アレンジを武政先生がされているから、バリエーションが広く
60年を過ぎた今でも、編曲の自由度が大きいのではないでしょうか。
しかも先生自ら「どう変えてもらってもいい!」とおっしゃって
おられた話は有名です。原曲は、曲の尺がなんと「44秒」しかなく
連続して繰り返す事で、見ている見物人の人達もすぐに覚えて
手拍子が出始め踊り子さんと見物人が一体となっていくんですね。
これに比べて、前日祭をやるにあたって便宜上お願いした「曲の長さ
4分30秒以内で」というルールでも何でもない尺の長さは長すぎて
流し踊りの曲には向きませんね。
その上、今の「よさこい大賞」=龍馬賞だったり振興会長賞だったり
しています。
これとは別に「金賞」「銀賞」になる前の
賞は、「アイデア賞」と「ミュージック賞」でしたからね(笑)
創設者たちの思いは、決して賞の序列を求
めていたのではなかった事が、賞の名前からもうかがえます。

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