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改訂版:よさこい哲学注入⑨

その9                               2016/2加筆修正

■間違いじゃないので、ややこしいに付いてのお話し・・・

「よさこい祭り」のなかで、中央公園ステージが出来てからの
事ですが、踊る前と踊った後に「礼」をするチームを見かけ出
しました。その頃から祭りの「見物人」の事を「観客」と表現し
始めたのです。

競演場や演舞場と振興会は、祭りの主役である「チーム」や
「踊り子」に「よさこい祭り」と言う枠の中では、余計な事を考え
ないで思いっきり踊ってもらう為と少々の事は「祭り」という事
で目をつむって頂ける様にあらゆる所で前もって頭を下げたり
お願いして祭りの準備と根回しをしてあります。

その競演場でチームが、踊る前に見物人に向かって頭を
下げられると「?・・」「俺たちは、芸人の世話をしてるの?」
という気持にさせられてしまいます。
競演場を運営している人達に向かって「ありがとうございま
す。お世話様です」なら理解が出来ます。

踊り子側とすれば、もちろんこれも含まれているでしょう。
でもそれは、チーム責任者が、競演場に申込みに来た時に
チームを代表して頭を下げて終っているのです。

幾ら町興しイベントから始っているとはいえ、「よさこい祭り」
の形態は、「祭り」です。一見、チームが踊る前に礼をする事
が礼儀正しくてよさそうにみえますが「祭り」と言う観点からす
ると、間違いではないけど正しくない事になっしまうのです。
(ややこしい)(笑)

チーム側が自分達の芸(あえて言うと)を見てもらいたい、
評価をしてもらいたいが前に出すぎるとつい「祭り」であること
を忘れて、見せるテクニックばかりが先攻する状況に陥ります。
見ている方も、当然よりすごいものを見たくなります。

チームもそれに答えようと踊り子を選び、練習回数も増え衣装・
楽曲・ダンステクニックそして演出面での音響・照明・特殊効果
などの会場設備も当然どんどんエスカレートして行くでしょう。
そうなるともう、ご近所の皆が参加している「祭り」ではなくなっ
てしまいます。これも今の「よさこい祭り」の価値観では間違い
ではないけど正しくなくいのです。

「よさこいは、変化し、動いていく祭り」この定義を基にすると
すべて間違いではなくなってしまいますし変化して時代に合わ
せていかないと当然継続出来なくなり、消滅していきます。

よさこいには、定義がないかわりに、高度な自己判断が必要な
のです。若い頃に先輩から聞いた事が今、浮かんできます。

「よさこいは、やりすぎが一番いかんのじゃ!」

その通りだと思います。誰でもが気軽に参加出来ていた物が、
クオリティーやテクニックを求められエスカレートしすぎると、
限られた人達の物となっていくでしょう。

そこに価値観を見出すのも一つの方向性でしょう。
よさこいは、そういうジャンルも作り出していくことが出来る
可能性も秘めています。(笑)

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